国道398号 |
東日本大震災直後編-1 |
R4伊豆野原交差点〜R45十日町交差点 |
栗原市→大崎市→栗原市→登米市→南三陸町 |
1.R4伊豆野原交差点 | 2.宮城r29・R176交差点を斜め前方に左折 | 3.ひしゃげた柵も震災が原因か |
栗原市の市街地の中ほどでR4伊豆野原交差点を通過する。関東東北を縦断する国道と東北を横断する国道の交差点だがやや地味。案内標識が横長で合計8つもの地名に加えて東北道のインターまで書かれている。 伊豆野原交差点から栗原市の市街地を走ること約600mで宮城r29・r176との交差点となり左斜め前方方向へ進む。案内標識ではR398の表示がr29とr176に比べて小さいため交差点の先が狭路になっていそうなものだが、ごく普通のローカル2車線となっている。r29交差点から程なくして旧志波姫町に入る。 |
4.旧紫波姫町役場前を通過 | 5.東北新幹線 | 6.旧若柳町に入る |
E4東北道の上を通過して東北新幹線との中間辺りで旧紫波姫町の役場前を通り過ぎる。役場付近は民家が密集しているものの他は水田の方の割合が多い。旧志波姫町中心部を抜けてしばらく走ると右手に東北新幹線の高架が見えてきて少し並走した後に高架下を通過する。それからも緩やかなカーブを描きながら2車線快走路と走っていると旧若柳町に入り、すぐにかつての町の中心部に差し掛かる。 |
7.市道(旧道?)との交差点を道なりに右へ | 8.左側の土手の向こうは迫川 | 9.JR東北本線の跨道橋の制限高は4.5m |
旧若柳町の中心部を走っていると旧道と思われる市道との交差点となるが、交差点の中央に分離帯がありそれを避けるように右折しなければならない。旧道と思われる道路との交差点からは迫川の土手の外側を走る。宮城r183の若柳第二大橋の下をくぐってさらに迫川右岸を走っているとJR東北本線のガードを通過する。このガードは4.5mの制限高があり、2車線ではあるものの若干車線幅が狭いため内部での離合は減速した方が良いだろう。 |
10.2輪(125cc以下)と軽車両は右折不可 | 11.橋の前後の段差は震災の影響だろう | 12.長閑な風景の中を走り抜ける |
登米市との境の直前で旧道との交差点を直進し、ほぼ市境の真上で宮城r36(みやぎ県北高速幹線道路)の暫定出入口を通過する。県道とは言え東北道の築館ICと三陸道の登米ICとを結ぶ高規格道路であり、既存の道路とはインター形式で接続するはずだが、暫定的に開通している2011年10月の時点では平面で交差している。信号もなく高規格道路の出入口には思えないが、125cc以下の2輪と軽車両は進入できない点に高規格道路だと感じられる。 みやぎ北高速幹線道路との交差点付近で登米市に入り、程なくしてr36の現道との交差点を通過する。みやぎ北高速幹線道路が築館IC〜登米IC間である事を考えると当然ここからはr36との重複区間となって登米市市街地方面に向かう。 |
13.登米市の市街地を走る | 14.市道との交差点を左折 | |
バイパス化され水田の中を直線的に進む道路で非常に走りやすい。もっとも旧道と合流して以降もバイパスと同じような道路状況なので走りやすい状況が続くと言える。登米市の市街地に入ると沿線の建物の数と交通量は増えるが、市街地にありがちな狭苦しく感じるような状況にはならない。登米市の中心部で役所の南東からの入口に当たる交差点を左折する。 |
15.S字カーブ状に進んで錦橋を渡る | 16.錦橋は災害復旧工事中 | |
市道との交差点のすぐ先で錦橋を渡るのだが、その手前はS字カーブ状に進まなければならない。錦橋は地震により橋面がずれたため本震の1時間後には通行止となり、復旧が終わって開通したのが6月30日である。開通したと言ってもずれたものを戻しただけのようで、ワイヤーやパイロンや土嚢の存在が痛々しく感じる。 |
17.R346桑原スタンド前交差点 | 18.R346重複区間 | 19.R346黒沼十字路交差点を右折 |
錦橋を渡ってからは建物の密集した歩道のないやや狭苦しい状態で市街地を走り抜ける。岩手r36交差点を通過してからR346との桑原スタンド前交差点を直進してR346との重複区間に入る。少し狭い歩道のある状態で北東へと進み、約3.2km先の黒沼十字路交差点を右折してR346から分岐する。 |
20.R342新小路交差点を右折 | 21.北上川の堤防上を走る | 22.R342米谷大橋西交差点を直進 |
R346から分岐した後は沿線の家屋の数が減ったせいもあり見通しの良い走りやすい状態となる。約2.7km走るとR342新小路交差点に突き当たり右折してR342との重複区間に入る。先ほどのR346もだが重複区間に入る交差点ではR398は案内標識等に表示されていないのでルートを見失わないようにしなければならない。 新小路交差点からは北上川の堤防の上を走り、堤防から離れた先の米谷大橋西交差点でR342との重複区間が終わる。R342が右折、R398は直進である。重複距離は約1.7kmと短い。 |
29.登米東和ICのすぐ先に狭路あり | 30.新水界トンネルまで快走路が続く | 31.左折する道路が旧道 |
登米東和ICを通過して程なくしてセンターラインのない1.8車線幅になってしまうがその距離は短い。しかしながら交通量が結構多いため対向車に大型トラックがいるとそれなりの減速を余儀なくされる。僅かな狭路区間を除いて緩やかな上り勾配と緩やかなカーブの2車線快走路となっている。長閑な風景の中を走るためこの先に被災地があるとは考えにくい状況である。 朝貫田集落を抜けて少し走るとチェーン脱着場の前を通過するが、そこは旧道の入口に当たる。旧道は4輪車での通過は不可能となっているが、トンネルそのものは健在らしい。なお旧水界隧道は1886(明治19)年開通と宮城県で最も古いトンネルである。が、別段観光地化されている訳ではない。 |
32.新水界トンネル | 33.新水界トンネルを抜けると南三陸町 | 34.勾配・カーブともに比較的緩やか |
旧道との交差点から400m程で新水界トンネルに入り、市町境を越えて南三陸町に入る。東日本大震災の直後に住民17000人の実に6割の10000人以上が行方不明と報道され、津波の被害を最も受けた自治体のひとつである。 大被害を受けた南三陸町ではあるが新水界トンネル付近は通常の風景が広がっており、地震や津波の被害は見受けられない。登米市側と同様に緩やかなカーブの緩やかな勾配を下る。 |
35.八幡川に沿って沿岸部に向かう | 36.ガードレールを曲げたのは地震の揺れか津波か | 37.右の建物は南三陸町消防署 |
八幡川に沿って緩やかな勾配を下り続ける。沿線には家屋が点在しているが全壊しているものはほとんど見られない。小森集落でひん曲がったガードレールを見かける。山間部であれば積雪によるものと推測できるが、ここではそこまでの積雪があるとは思えない。となると震災によるものと思われるが、直接の原因が地震の揺れか津波かは不明である。 はっきりと津波の被害だと分かるのは南三陸町の消防署付近からである。ガードレールは大きくひしゃげており、そして何より3階建ての消防署の建物の窓ガラスが全てなくなっており津波の被害の深刻さを思わせる。道路自体は瓦礫や漂着物は撤去されており通行には支障はない。 |
38.消防署から海側は町の中心部だったはず | 39.JR気仙沼線の鉄橋は津波に流されて消滅 | 40.右の骨組みは町役場跡 |
消防署から先は津波の被害を大きく受けた南三陸町の中心部となる。JR気仙沼線の線路をオーバーパスするが左手には八幡川に架かる鉄橋があったはずなのだが津波に流されて存在しない。この線路の真上は周りよりやや高くなっており、南三陸町の中心部を眺める事ができる。見えるのは瓦礫か骨組みだけの建物だけで改めて津波の凄まじさを感じずにはいられない。 道路に目を向けると路上の瓦礫や車両等は撤去されており通行に支障はない。栗原市などでよく見られた舗装の凹凸もほとんど見られない。アスファルトそのものは新しいものではなく震災後に舗装されたものではない事から地震の揺れの被害は少なかったのかもしれない。 |
41.欄干が倒れているものの通行は可能 | 42.ほぼ全ての建物が消失 | 43.R45十日町交差点を右折 |
鉄骨だけを残す町役場建物の手前の十字路を左折して八幡川を渡る。本来なら交差点の手前に案内標識が立っているのだろうが、それも流されてしまったようで工事現場でよく見る普通の看板が立てられているだけである。背景が青で白の線で書かれているなど案内標識を意識したものではあるが小さいうえに周囲の被災状況にばかり目が行ってしまい見逃してしまうかもしれない。 ひしゃげた欄干の橋を渡って八幡川の対岸に移ってすぐにT字路に突き当たり右折する。こちらの案内標識も流されてしまっている。津波でほぼすべての家屋が流された中を走っていると約250mでR45十日町交差点に突き当たる。町の中心部で二桁国道との交差点なので本来は信号機があったのだろうが、2011年11月1日現在はR398に一旦停止の標識が立っているだけである。案内標識も流されているため青い看板で代用されている。 |
国道398号 東日本大震災直後編-2 |