国道398号 |
東日本大震災直後編-2 |
R45十日町交差点〜R45大街道大橋西交差点 |
南三陸町→石巻市→女川町→石巻市 |
44.再び八幡川を渡る | 45.鉄筋コンクリートの建物は残っている | 46.南三陸警察署の前のT字路を左折 |
十日町交差点からはR45との重複区間となってすぐに先ほど渡った八幡川を渡る。その先には公立志津川病院とサンポートというショッピングセンターが残っているが、津波により本来の機能は失われている。右手の病院を見ると3階より下の階の窓ガラスが全てなくなっている事からその高さまで津波が押し寄せたのだろう。周辺には仮設ではあるが営業している店舗もある。営業しているガソリンスタンドがあると分かっていればここで給油したのだが、あいにく登米市内で給油したばかりであった。 志津川病院から程なくして南三陸警察署前で町道とのT字路に突き当たる。ここにも案内標識はなく青い看板のみとなっているが、R398(実質R45)は左折である。なお、警察署も被災しており他の場所に移転している。 |
47.水尻橋は仮設橋 | 48.JR気仙沼線の下を通過 | 49.「津波浸水想定区域 R45ここまで」 |
町道との交差点から程なくして水尻川を渡るが、津波で水尻橋が落橋したため仮設橋となっている。2011年3月19日には自衛隊による応急橋での交互通行、そして7月6日にこの仮設橋での対面通行が可能となっている。今後は元の橋の位置に恒久的な橋が架ける予定なのかもしれない。 水尻橋仮橋を渡るとJR気仙沼線のガードをくぐって海岸線から離れて少し内陸に入ると同時に緩やかな上り勾配で標高を上げる。その先に津波浸水想定区域の終わりを告げる標識が確認できる。標識そのものや周りの家屋も流されておらず、図らずも津波浸水想定区域の設定は誤っていなかった事になる。 |
50.「R45これより先 津波浸水想定区域」 | 51.沿線の家屋は基礎のみになっている | 52.R45戸倉交差点を左折 |
JR気仙沼線の下を再び通過し、弁天崎を通過してからは海岸線沿いとなり津波想定区域内に入る。道路自体に損害がないため津波の被害もなかったかのように思えるが周囲に目を向ければ基礎だけになった家屋跡が多い。 十日町交差点から約4.7kmで戸倉交差点に至り、左折するとR45から分岐して重複区間が終わる。この交差点の案内標識も失われており信号機もないので青い立て看板のみが頼りとなる。 |
53.折立橋も仮設橋 | 54.戸倉集落もほぼ壊滅 | 55.高台の建物は流失を免れている |
戸倉交差点を左折して直後の折立橋も仮設橋となっている。水尻橋同様に折立橋も津波により落橋している。折立橋仮橋を渡ってすぐに左に急カーブして本来の国道のルートに戻り、戸倉集落を通り抜ける。しかしその戸倉集落も大部分が津波によって流失しており、残っているのは鉄筋コンクリート造りの建物か少し高台にある家屋くらいである。その残った建物も揺れか津波による何らかのダメージを受けているものが多い。道路自体は大きな陥没もなく瓦礫等も片付けられているため普通に走行できる。 |
56.水戸辺川に架かっていた橋も落橋 | 57.左側には瓦礫の山 | 58.波伝谷集落 |
戸倉集落を抜けて海岸線に沿って走っているとお隣の水戸辺集落に入るが、こちらも海に面した低地のため津波の被害が著しい。水戸辺川に架かっていた橋も落橋しており仮設橋で復旧されている。水戸辺川を渡る前後で左に大きくカーブしているが、その左側は元々水田であったようでそこにはうず高い瓦礫の山ができていた。道路脇には直径10〜20cm程の塩ビの管が走っているのだが、ほぼ道路に沿って長い距離ある事を考えるとおそらくは水道ではと思われる。 |
59.少しでも高い位置にあれば津波の被害を受けなかった様子 | 60.アスファルトが新しい | 61.石巻市に入る |
海岸線から近くても標高の高い位置にある家屋は津波の被害を免れている。この時点で既にいくつかの津波の被害に遭った集落を通過しているが、低地であればかなり内陸まで被災しているが、高台は海からの距離が2,30mでも津波には襲われなかったようだ。ただ、津波の被害がなくとも地震の被害はあるようで瓦が崩れたり壁に亀裂が入ったりしている建物が多い。 道路に対する被害は瓦礫が除かれた後なので通常の通行には支障がない。地震か津波か不明だが被害を受けた箇所は既に補修されていたが、歩道や崖側の法面の崩落は手付かずとなっている箇所がいくつか存在している。そんな状態を走っていると戸倉交差点から約9.2kmで石巻市に入る。 |
62.高台の小滝集落は家屋が残っている | 63.小泊トンネル | 64.小泊集落では強制的に旧道に進まされる |
石巻市に入ってすぐに小滝集落を通るが、ここは海面から高低差があるため津波の被害を受けていない。海面が見えず海のすぐ傍とは思えない風景を走っているが、国道に直接面していない海沿いの集落は津波の被害を受けており、地震のせいで路側帯が崩れかけている場所やガードレールが曲がっている箇所はいくつか見られる。小泊集落では旧道に進まされる。集落の中を抜ける旧道だけあって道幅はやや狭いが通行そのものは問題なく行える。 |
65.旧道以外は2車線 | 66.道路の凹凸が多くなってくる | 67.白浜トンネルは片側交互通行 |
旧道から現道に復帰すると元の2車線道路を走る。通常であれば海が見えて気持ち良く走れると書きたいところだが時折見える津波を受けた集落を見るとそんな気分にはならない。国道自体はやや高い位置にあるため津波の被害を受けていないが、地震そのものの被害があるため路面の凹凸が多くなる。白浜トンネルが工事のため片側交互通行だったが、地震の復旧工事ではなく地震に強い水道管を敷設するための工事とのこと。これも復旧工事と言えば復旧工事なのかもしれない。 |
68.左側に津波被災車両の仮置き場がある | 69.月浜小学校も被災 | 70.北上川と皿貝川に挟まれた堤防を走る |
白浜トンネルを抜けると標高が下がり海面との高低差が小さくなる。そのため以降は津波の被災地を通る事になる。道路そのものの損壊や障害はないものの沿線の建物の大半は流失しており、跡地の中には被災車両置き場となっている場所もある。南三陸町と同様に沿岸部の集落は軒並み津波の被害を受けている。 北上川左岸を走っていると皿貝川に挟まれた堤防のような場所を走る。周囲に比べて高い位置にあるため見通しが良く、津波の被害を受けた集落や田畑が目に入る。道路そのものも被災したようだが既に仮も含めて復旧している。 |
73.新北上大橋の一部は仮設橋 | 74.トラス部分は流出を免れている | 75.宮城r30・r238交差点 |
宮城r64交差点を左折すると北上川に架かる新北上大橋を渡るが、その一部が落橋したため仮設橋となっている。川面の上のトラス部分は残っているため途中で仮設橋から本来の橋に乗り換えて対岸に移る。新北上大橋の東詰で右にカーブしながら宮城r30・r238との交差点を通過する。 |
76.釜谷トンネルに向かって上る | 77.釜谷トンネル | 78.釜谷トンネルの南側の勾配は緩やか |
宮城r30・r238交差点からは緩やかな上り勾配となって釜谷トンネルに向かう。低地にある入釜谷集落を見下ろしながら急カーブを含む2車線道路を上っていると旧道との交差点を通過する。旧道の釜谷峠は結構な酷道だったようだが通行不能で、現在は釜谷トンネルで難なく通過できる。釜谷トンネルを抜けると旧雄勝町域に入り、緩やかなカーブと勾配の道路を下っていく。 |
79.宮城r192交差点の案内標識なし | 80.旧雄勝町の中心部も甚大な被害を受けている | 81.宮城r238交差点を右折 |
釜谷トンネルから平地に下りてくると津波による壊滅的被害を受けた旧雄勝町の中心部に入る。残っているのは鉄筋造りの建物か内陸もしくは高台に建っている建物のみという悲惨な状況である。宮城r192との交差点を左折してかつて町の中心部だった所を通るがその面影はない。r192交差点から約400mで宮城r238との交差点を右折する。r192、r238どちらの交差点も案内標識がおそらく流されたままで設置されていない。 |
82.僅かな標高の差が明暗を分けた模様 | 83.道路の損壊からは復旧している | 84.雄勝湾沿いを走る |
旧雄勝町の中心部を離れても津波の被害が甚大な地域を通る。その中でもほんの数メートル高い位置にある家屋は残っており、この僅かな差が明暗を分けてしまった。ただし、これまでと同様に津波に流されていない家屋も地震の被害を受けており無事には済んでいないものが大半である。少し湾内に入り込んだ所だが、いやだからこそ津波の被害は大きかったようで道路も損傷を受けたようで新しいアスファルトも見られる。舗装は修復されているがガードレール等は設置されていない箇所もある。 |
85.海のすぐ傍だが高低差あり | 86.水分トンネル | 87.分浜から波浜にかけてはバイパス化されている |
唐桑集落からは海との距離は短いもののやや高い位置を走るため海面は見えず津波の被害も受けていない。バイパス化されたR398は被災していないが、集落は海に面した低地にあるため津波の被害を受けているのが見える。女川町との境まで山手の高い位置をバイパスで走る。 |
88.女川町に入る | 89.御前湾の入口付近で連続ヘアピンカーブを通過 | 90.これまでなかった漁船が確認できる |
バイパスを走っていると女川町に入るが、少し内陸を走っているため海は見えない。御前湾の入口に当たる所で下り坂の連続ヘアピンカーブを通過し、その後に海が見えてきて指ヶ浜集落を通過する。これまでほとんど見なかった漁船が浮いているが、東日本大震災以前は漁船があるのが普通の場所だったのだろう。 |
91.女川町御前浜 | 92.道路の損傷個所が多い | 93.右側の柵が波打っているのが分かる |
御前湾の最奥の御前浜集落も津波の被害を受けている。御前浜辺りから先は国道そのものに亀裂や小崩落等の被害が多く見られるようになる。車両の通行に支障のないように応急処置されているものもあるが完全に修復されるのはまだ先の話だろう。 |
94.交互通行箇所も多数あり | 95.崩落個所は多い | 96.山側が崩落している箇所もある |
法面が崩れている箇所は片側交互通行となっている。距離が長い箇所には交互通行用の信号機が設置されているが、短い箇所には設置されていない。中には見通しの悪いカーブの近くが片側交互通行となっている場所もあるので通行の際には細心の注意を要する。 |
97.女川町も壊滅的な被害を受けている | 98.女川町の中心部は本来の道路を通れず海側を迂回 | 99.残っているのは鉄筋コンクリートの建物のみ |
女川港に入るとそれまでのやや高い位置から低地に下りる。女川湾の最奥に位置する女川町中心部も津波により甚大な被害がもたらされた場所のひとつである。町の中心部は鉄筋コンクリートの建物を除いてほぼ全てが失われている。女川駅と町役場のすぐ近くでは道路そのものの損壊か復旧工事に伴うものかは不明だが、本来の国道が通れず海側に迂回しなければならなかった。その迂回路も普通の道路ではなく元々は建物が建っていたが津波で流失した跡を整地したような場所である。道幅(?)は充分に広いが本来の道路ではないため路面の凹凸が大きくかつ多いため徐行せざるを得ない。 |
100.低地の建物は軒並み流出 | 101.女川バイパスと合流 | 102.再び石巻市に入る |
女川町の役場付近を通過して女川湾から離れていく。緩やかな上り勾配となっているが、港から1kmくらいまでの国道沿いの建物は失われており津波の大きさを物語っている。JR石巻線のガードをくぐり線路の北側を並走して西の方角に向かう。浦宿駅を通過すると左手に万石湾が見えてきて程なくして2度目の石巻市に入る。 |
103.万石湾のすぐ傍でも津波の被害なし | 104.石巻市流留 | 105.宮城r2・r193交差点 |
万石湾沿いの区間も海のすぐ傍だが津波の被害はほとんど見受けられない。これは万石湾の入口が幅200mに満たず非常に狭いもので、その入口も石巻湾の東に位置しているという地理的な要因が重なったためと思われる。浦宿駅以西も比較的海の近くを通るのだが、少なくとも国道付近は津波に襲われた形跡は見られない。 沢田駅過ぎてすぐに線路をオーバーパスして万石湾から離れる。イオン石巻東店を通過してからは沿線の民家の数が増え、それに合わせて交通量も増えてくる。 |
106.地震の揺れによる被害が目立るようになる | 107.交通量が増えてくる | 108.傾いた電柱も散見される |
石巻市の市街地に近付くと国道沿線は崩れかけた家屋や傾いた電柱など津波の被害よりも地震の揺れそのものの被害が目立つようになり、商業施設の中には営業していないものもある。そんな状態だが石巻市の市街地に近付くせいもあって交通量は次第に増えてくる。 |
114.市道との山下町1交差点を左斜め前方に進む | 115.石巻市山下町 | 116.宮城r240双葉町交差点を右折 |
市役所の前を通過してからすぐに市道との山下町1交差点を左斜め前方へ進む。緩やかに蛇行している状態を走っていると約1.1kmで宮城r240双葉町交差点に至り、右折して仙台方面に向かう。市街地を抜ける過程では仙台という地名は一切出てこなかったがここでいきなりの登場となる。 |
117.石巻臨港貨物線 | 118.商業施設が多く流れは悪い | 119.R45大街道新橋西交差点 |
双葉町交差点を右折してすぐに石巻臨港貨物線のガードをくぐる。その後は旧市街地然とした風景から変わって中小のチェーン展開している商業施設が並ぶ中を走り抜ける。それらに出入りする車両が多いせいもあって交通量流れは良くない。渋滞と言える状態を走っていると双葉町交差点から約2.0kmで北上運河を渡りその直後でR45に突き当たる。右折が鋭角に交差しているためか全車両が右折禁止となっており登米方面には曲がれない。反対にR45登米方面から女川方面への左折が可能か否かは未確認である。 |