国道421号
(2004年)
石榑峠

石榑峠〜三重県側コンクリートゲート
東近江市→いなべ市

 2010年7月18日現在、2t車を阻むコンクリートゲートの存在によって全国に名を轟かせているであろう石榑峠は通行止である。道路そのものがなくなっている箇所もあり車両での通行は物理的に不可能。徒歩であれば物理的には通行できるかもしれないが、安易な行動が関係者に迷惑をかける事になってはいけないと自重して峠区間を迂回した。よってここでは6年前、2004年3月31日当時の峠区間の様子をレポートとして残しておく。

1.滋賀県側から来るとこういう風に見える 2.石榑峠の全貌である!!県境標識の陰にゲートがある 3.全国の酷道マニアを惹きつけてやまない石榑ゲート
 石榑峠は特になんてことはない普通の峠なのだが、石榑峠の石榑峠たる所以は地勢的なものではない事は周知の通りである。R421の名を全国的に知らしめたコンクリートゲートの存在であるR307御園交差点付近から2t車以上通行止だとか最大幅2.0mの標識だとかがしつこいくらいに設置されていた。その必要以上を思われる警告もこれがあるからなのだ。2t以上の車に乗って「大袈裟やのぅ〜。どうせ通れるやろ」などと甘い考えでここまで来ればこいつを目の前にして絶望に打ちひしがれる事だろう。そういうことがないようにとの処置だろうが、過去にそういうことがあったということを示唆している。
 上の写真は峠付近とゲート。最初の写真の手前の方がコンクリート舗装のように見えるがそれは流出してきた小石である。おそらくそこは登山道で草がないので雨で流出してしまったのだろう。→2010年7月には流出防止の堤が造られていた。

4.2.0Mの幅員を示す看板 5.三重県の県境標識 6.2t以上通行禁止の最後通牒
 まず東近江から来た場合に目にする標識群を順に見ていこう。
 No.4は幅員が2.0mであることを知らせる看板。傾いていて威厳が薄れているが、こっから2.0mに狭まるんだよ!と強烈に主張している。県境標識の手前にあるが設置は三重県。
 No.5は三重県の県境標識だが、大安町の町章が隠されている。実は3ヶ月前の2004年1月1日に大安町は周辺の町と合併していなべ市となっているのだ。冬季通行止め期間中だったから付け替えられていないだろうなと思っていたが、やはり替わっていなかった。しかしわざわざ町章を隠す意図は何だろうか。付け替えるならそんなことをする必要はないだろう。まさかこのままにしておくつもりか?それともいなべ市というシールが制作中なのだろうか?→2010年7月にはいなべ市に変わっていた。
 No.6が今までの警告看板の総仕上げ、最後通牒である。微妙に曲がっているのは雪のせいだろうか。

7.ゲートを接写。生々しい傷跡が残る 8.そんなもんゲートを見りゃわかる 9.制式な最大幅の警告標識
 No.7は左ゲートの内側を写したもの。セダンのミラーの高さくらいだろうか。過去の挑戦者の生々しい傷跡を見ることができる。もちろん反対側にもおなじように傷が残されている。
 No.8と9はゲートの奥にある。大型車という言葉は通常大型トラックを指すが、そんなのはここまで来れない。それにゲートを見た後にこいつが目に入っても意味がない。この2枚は状態から見て結構古いもののようだ。となると落書きもNo.4〜6が設置される以前に書かれたものなのだろう。しかしまぁどこにでもこういうことをやらかすおバカがいるもんだ。

10.滋賀県の県境標識 11.やけに汚れていて見にくい。県境〜相谷の間は… 12.石榑峠のランドマーク(?)、NTTの電波塔
 今度は三重県を向いている標識である。
 No.10は滋賀県の県境標識でおにぎりシールのワンポイント付き。このR421に限っては滋賀県でもおにぎりシールをたびたび目にする。県内の他の国道では見られない特徴でもある。担当者がよっぽどR421(石榑峠に?)に思い入れのある人だったのだろうか。→こちらも2010年7月には東近江市に交換済み。
 No.11は異常気象時通行規制を示す看板。麓の通行止めゲート近くのと対応してるんだな…ん…んん…ちょっと待てよ。確かあちらは「ここ(注;通行止めゲートのある場所)から〜石榑峠」8.7kmってなってたよな。しかしここにあるのはどう見ても「県境〜相谷」20kmとなっている。……通行止めゲートから相谷までの11.3kmはどこに行った??看板の古さ加減から察するに、以前は相谷〜峠間が規制区間だったのが道路改良などでその区間が短くなったのだろう。だったらここまで来てこれも替えとかんかい!
 そして最後におまけ的なショットのNo.12。石榑峠のランドマークのNTTの電波塔である。峠に着く直前に見えた石垣の上の道路を進んで行くとたどり着けるのだが、私道なので進入することはできない。

13.いよいよゲートに進入! 14.リアから撮影。一種異様な雰囲気だ 15.三重県来るとこうなる。左が電波塔への私道で右が国道
 撮影会(?)が終わるとコンクリートゲートへの進入を試みる。過去2回来ているがどちらも旧規格の軽のミニカダンガンであった。全幅1.395m(カタログ値)なのではっきり言って余裕だった。2度目ともなると少し減速するだけで通れたものだ。デトマソの全幅は1.650m(カタログ値)なのでミラーを含めても1.8m以下だろうからまず余裕で通ることができる。案の定、ミラーをたたむことなく通過できた。
 というわけで5ナンバー車は問題なく通行できることが明らかになった。ただし運転席からの視界では精神的な要因も加わりかなりギリギリに見える。右を気にするあまり左を擦ってしまった(またはその逆)なんて事がないように注意しましょう。3ナンバー車や1t程度の小型トラックはミラーを倒さないと通れないかも。コンクリートゲートの威圧感があるので難易度が高いように思えるが、車体とハンドルを真っ直ぐにすればそんなに難しいものでもない。自分の車両感覚の有無を知るには最適とは思うがそのためにわざわざ訪れるような場所でもない。

 三重県側から来た場合はNo.65のようなのが視界に写る。直進の鉄柵のほうは電波塔への私道で一般人は入れない。国道は右コンクリートゲートの方だ。最狭区間を終えるゴールのように見えるだろう。

 余談だが、これらの写真を撮っている間も間断なく強風が吹き荒れていた。砂嵐、いや石嵐は起こるは、まともにカメラを構えていられないわで大変だった。風がなければ晴れているしゆっくりと景色なんかを眺めて長居をしたかったのだが。

16.コンクリートゲートの先はR421最凶区間が始まる 17.狭さもさることながら勾配もきつい 18.路面状況も極悪。舗装が剥がれている箇所もある
 コンクリートゲートが異様な存在感を放っている石榑峠だがなにも伊達や酔狂でそこに存在しているわけではない。彼にも存在理由があるのだ。ではその理由とは何か。それはゲート以降が狭路・急勾配・急カーブの酷道3Kに加えて退避場所が設定されていないのだ。乗用車同士なら時間をかければすれ違えるが、それ以上の車となると不可能だからだ。中途半端なゲートと設置すると無理矢理突っ込んでいって二進も三進もいかない混乱が生じるだろう。と言うより過去にそのようなことが起こったと考えるのが普通だろう。かくして2t以上、車幅2m以上の車を阻むコンクリートゲートの設置と相成ったのだろう。

 ゲートを越えて10mも行かないうちに簡易コンクリート舗装となる。道幅は広い所でも1.5車線しかない。片側は深い谷でガードレールがあるので転落の可能性は低いものの圧迫感はある。もう片方の崖は石垣で固められている箇所が多いので落石は比較的少ないのだが、側溝があるのでやっかいだ。しかもこの最狂区間には待避所が設けられていない。対向車が来ないことをただ祈るしかない。もし来てしまったら少しでも広い場所で可能な限り端に寄せることになるが側溝にはまったらそれでお仕舞いである。某漫画に溝落としなんて技があるがここでやったらただの脱輪だ。そうなれば国道を通行止めにしてしまい、渋滞は必至だろう。
 以上道幅の話は終わり。次は勾配のお話。峠以西の勾配は海抜690mの峠としてはかなり緩いものであった。だがここは最狂区間の名に恥じない勾配っぷりである。今までのほほんと上って来た者にとってこの勾配はかなりきつく感じるだろう。カーブがきついのは峠までと変わらないが、ブラインドカーブも多く狭いこともあいまって常に対向車の存在に気を遣わねばならないため精神的に疲れる。さらに路面も非常に悪い。ひび割れは当然のようにあるし、路面が剥がれている箇所の1ヶ所や2ヶ所ではない。またなぜか道路を横断する溝のふたがグレーチングなので雨天時のスリップには要注意だ。とくにバイクだと転んでしまいかねない。

19.最凶区間を終え再びコンクリートゲートが現れる 20.最凶区間を通ってきた者にとってはゴールを意味する 21.もう少し前に停めればよかったな…
 とまあ散々な言い方をした石榑峠の最狂区間だが、距離自体は1kmと短い。筆者が通った時は対向車も来なかったため10分ほどのことだった。だが実際に走ってみると距離はもっとあるように感じるし、時間もかなり長いように感じる。酷道慣れしている筆者ですらそうなのだから普通の人ならなおさらだろう。
 戦々恐々と最狂区間を進んで行くと左カーブの先に橋のようなところを通る。道がいくらか平坦になり、その先には三重県側のコンクリートゲートが見える。ゲートの手前にはおにぎりも堂々と立てられているが、汚れが目立ちくたびれた印象を受ける。当然ながらここでもゲートを通過しなければならないが、こちらはゴールなので精神的には楽に挑むことができる。ゲートを越えた所が少し広くなっているのでここでも車を停めて撮影会を実施した。
 No.20の写真にゲート手前で左に逸れる道があり、ゲートを通らなくても向こうに行けそうに見える。しかし向こう側にガードレールがあって車での通行は不可能である。目ざとく発見して突っ込んでも失望を味わうだけ。

22.こちらのゲートにも生々しい傷が残る 23.コンマ以下が消されて2.mとなっている 24.国道メーリングリストのシールと幅の実測値?
 こっちは峠のほうと違って県境ではないのでモニュメント標識群は少ない。2. Mの幅員減少看板しかない。コンマ以下の数字が消されているが、ゲートを狭くしたというより峠の方の数値に対応させたのだろう。ポールには国道MLのステッカーとゲート幅を書いたシールが貼ってある。意外にも2.5m近くあるがやはり最狂区間の状況を考えると車幅2.0m以下がせいぜいだろう。それ以上ならすれ違いできない。

25.いなべ市から来た場合はこう見える
 R306から来た場合はこうなる。橋の先が急カーブになっていて道路が消えているようにも見える。不吉な出で立ちだ。地図やカーナビを頼りに国道だから大丈夫だろうという気持ちで来ていれば相当驚くに違いない。

 以上が在りし日の石榑峠のコンクリートゲートとその間の最凶区間である。あまりにも内容が濃すぎて峠の1kmだけで1ページを割いてしまった。さすがに全国区の酷道峠だけのことはある。
 この石榑峠だが、こんな状態にもかかわらず時期によっては交通量が多い。東近江側、いなべ側双方ともにキャンプ場や紅葉の名所・古刹を抱えているため、季節や天候によっては交通量が増える。また登山や山菜取り等もできそれら目的の車がゲート付近に止めてあったりする。夏秋の晴れた休日なんかはそれらが結構多くて特に峠のゲート付近はごった返すことがある。もちろん最狂区間内も例外でなく、離合渋滞が起きることもしばしばだ。酷道に不慣れなドライバーも多いので、国道走行が目的ならこれらの時期を避けるか覚悟の上で訪れるべきだろう。なお峠のゲート付近は携帯電話は通じたが、三重県側ゲート付近は圏外だった。筆者は酷道走行には不向きなボーダフォン(現ソフトバンク)を使用している。

26.三重県ゲートを越えると1.5車線である 27.中には1.0車線と狭い箇所も少なくない 28.動物の絵が描かれた落石防止壁。その上からの落書きも
 三重県側のゲートの撮影もそこそこにして再び走り始める。最狂区間を終えた後なので精神的には随分楽になるはずである。しかしあくまで最狂の箇所を突破しただけであり、これ以後はセンターラインの刻まれた快走路、というわけではない。山の斜面に張り付きながらうねうねと進んでいく。道幅は1.5〜2.0車線と狭くはないが離合できない箇所も所々存在するので対向車の存在には注意しなければならない。比較的景色はあけているもののブラインドカーブが多い。

29.センターラインのある区間は短い 30.かなり大きい落石があった。三重県側も落石に注意
 緩やかな勾配を徐々に下って行くとセンターラインが現れ、狭いのも終わるかと思うのはまだまだ甘い。すぐにそれは消えてしまう。センターラインが現れたり消えたりと広狭を繰り返していく。ガードレールがあるので転落の心配は少ないが、こちら側でも落石は多いようだ。滋賀県側に比べればだいぶ少ないが、だからと言って直撃しないとは言い切れない。
 峠のゲートを越えて三重県に入ってからは0.2kmおきにキロポストが設置されている。1.0kmごとにおにぎり入りのものとなっている。しかしおにぎりシールがないので三重県らしくない。シールに関しては滋賀県の方が多い。

 以上が2004年3月31日当時の石榑峠+αのレポートである。石榑トンネルの開通は2011年春とのことだが、その後この旧道はどのような待遇を受けるのだろうか。いち酷道マニアとしては気になるところである。