大峠旧道


 R121走行から約1ヶ月後の2012年8月18日にR400走行後に大峠旧道を走ったので特別編としてページを作成します。大峠道路が全通した今となっては名実ともに国道ではなくなったが、かつて全国に名を馳せた酷道の姿を見ておくのも悪くないだろうと思った次第である。ただし、いつものことながら4輪車で行ける範囲のみとなります。


福島県側
1.福島r16交差点が旧道との交差点 2.旧道と言えど100番代前半なので2車線 3.もちろん集落も通る
 喜多方市の市街地の北部の福島r16線との交差点が大峠旧道の入口に当たる。左折の市街地に向かうr16もかつてはR121であった。
 交差点を右折して現在の国道から旧道へ入ると水田の間を抜ける直線的な2車線道路に迎えられる。旧道と言えど100番代前半の番号であり市街地に近いためいきなり強烈な状態ではないのは想定内である。

福島県側
4.道路情報板は明らかに国道時代の名残 5.まさか残っているとは!?
 一つ目の集落を抜けてすぐに右側に道路情報板が立っている。そこには「国道121号」の文字が残っており、道路情報も大峠が通行止である事を示している。もっとも期間が「当分の間」となっている事から現役時代からそのまま放置されている可能性も否めない。
 そんな道路情報板よりもさらに凄いものが残っていた。積雪のせいだろうか、倒れかけているとはいえちゃんとしたおにぎりが残ったいたのだ。これだけでも旧道を走りに来た甲斐があったというものである。しかしこんな目立つ所にあるものがなぜ残っているのだろうか。

福島県側
6.傾いている標識が多い 7.平沢集落 8.旧道沿線では最後の集落、新田
 おにぎりが存在したという余韻に浸りながら2車線道路を走る。周りに集落があるとは言え行止り故に交通量は非常に少なく、地元民専用道路の雰囲気がある。しかし標識が数多く立っておりかつては国道であった事を偲ばせる。ただ、傾いた標識が多い点が気になる。国道から市道になった、つまり管理者が福島県(一般国道の管理は国ではなく都道府県)から喜多方市に移管されて予算が少なくなったせいだろうか。
 平沢集落を抜けるとセンターラインがなくなり狭くなってしまうが、それでも1.8車線程度は確保されており強烈な道幅という訳ではない。旧道沿線としては最後の集落と言える新田集落はそのまま1.8車線幅で通り抜ける。

福島県側
9.まだ狭路と言える程ではない 10.田畑が途切れてからも1.8車線幅が続く 11.根小屋集落への分岐を道なりに進む
 新田集落を抜けてからも沿線には田畑があるためいきなり狭くなる事はない。それどころか田畑を通り過ぎてからも乗用車同士であれば比較的容易に離合できるくらいの道幅を維持し続ける。道幅が狭くなるのは根小屋集落への分岐を通過してからである。

福島県側
12.かつてはこれにおにぎりが付いていたらしい 13.採石ダンプが走るため路面は白くなっている
 とは言え分岐から即狭くなるのではなく多少は1.5車線幅が続く。分岐の先に案内標識が付いていたと思われる支柱が残っているが、そこは白看板が付いており「山形97km 米沢47km」と案内されていたようだ。そして支柱にはおにぎりも付けられていたらしい。
 右カーブを曲がると左側に砂利置き場のようなものが現れ、それより奥は路面が白っぽくなっている。採石ダンプが通っている痕跡に他ならず、この日も大型ダンプが何台も(何往復も)往来していた。

福島県側
14.閉鎖地点 15.簡易ゲートだが鎖で繋がれており移動不可 16.今年(2012年)の6月20日に施錠された模様
 採石場への分岐をすぎてすぐ先に転回場を兼ねた広いスペースがあるが、そこが閉鎖地点である。R121交差点から約10kmである。
 現役時代(と言っても実質大峠は通行止だった)にもここが大峠区間の入口にして引き返しポイントであった。しかし大峠道路の全通に併せて市道に降格し、喜多方市の手によって封鎖されてしまった。ゲート事態は簡易バリケードが置かれているだけだが、左右どちらも鎖で繋げて移動できないようにされている。封鎖されたのが今年(2012年)6月20日との事なのでまだ2ヶ月程しか経過していない。そのうち強固なゲートが造られるかもしれないが、それよりもまず傾いた標識を直す方が先だろうという気がしないでもない。


山形県側
17.山形県側は新たにゲートを新設した模様 18.ゲートの近くにはおにぎりが残っていた! 19.ゲートの先もまだ走れそう
 残っていたおにぎりを見れた事で清々しい気持ちで福島県側ゲートを後にすして、大峠トンネルを経て山形県側に迂回する。福島県側と異なり旧道の入口は案内標識がない。普洞沢3号橋と2号橋の間に接続している道路が旧道である。福島県側は約10kmまで行けたため山形県もその程度は行けるのかと思いきや、僅か1km程度で新たに造られたと思われるゲートに行く手を阻まれる。

 山形県側のゲートは明らかに設置されて間もないという事が分かるくらい綺麗である。大峠道路全通に合わせて設置されたと考えると数ヶ月程度しか経っていないかもしれない。ゲートに据え付けられた「通行止のお知らせ」標識も同時に作られたものだろう。この先もう開放する意思は皆無と思われるが、通行止の理由が変更できる作りになっており、しかも空白になっている。また、ゲートの脇が甘くバイクや自転車であれば通り抜けられそうだが、両脇ともに鉄パイプが設置されておりそれを乗り越えるのは容易ではない。そして、ゲートの手前にはなぜかおにぎりが残っていた。

山形県側
20.道幅はさほど狭くなり 21.新しい補修痕も少なからずある 22.落石もある
 ゲートを背にして進むとすぐに八谷鉱山への分岐を通過する。鉱山自体は閉山しており採掘はしていないが廃棄水の処理施設は稼働しているため人や車両出入りはあるものと思われる。逆に言えばこれがなければもっと手前で閉鎖されていた可能性も否めない。
 鉱山への分岐からは1.5車線幅程度の狭路を進む。勾配はほとんどなくカーブは緩やかなものがいつくかある程度である。路面には補修痕がいくつも見られ、ゲートに向かっている際はこの痕が多い事から結構奥まで行けそうという根拠のない妄想をしたものである。

山形県側
23.大峠道路の下を通過 24.普洞澤橋 25.左にカーブした先で大峠道路に合流
 道路脇が広い駐車スペースになっている場所を過ぎると左に急カーブして普洞沢2号橋の下をくぐり、その先でヘアピンカーブしながら普洞澤橋を渡る。何の飾り気も特徴もない普洞澤橋だが、竣工は昭和13年=1938年と非常に古いものである。普洞澤橋から程なくして再び普洞沢2号橋の下をくぐって左にカーブした先で大峠道路に突き当たる。山形県側は距離が短いため福島県側以上に面白みに欠ける旧道の旅である。